ターニングポイント 借金 転職

独立と副業に逃げ続けた結果

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僕は十数回の転職を繰り返しながら、その間もずっと副業にも挑戦していた。

ライター・ブログ・マーケティング・営業・住宅用ガラスフィルムの施工

一時的にそれなりにお金をもたえた時期もあった

僕は独立心だけは強く、

「副業収入を安定させて、会社に縛られずに生きる」

そう目指していた

でも結論から言えば、どれも副業止まりだった

その過程でまた借金は増えていった

自己破産までのカウントダウン

営業として働けば、成績が落ちるたびに勝手に自分を追い込んだ

個人事業主として宅配をすれば、「これは将来続けられない」と思い始める

未経験の業界にいけば、
文化の違いに耐えられず、仕事の進め方に異を唱える

どこにも居場所がない

そう思っていた

だからより強く思うようになった

「自分の力で稼げるようにならないと」

その焦りが、行動を間違った方向に向かわせた

まず手を出したのが、

マーケティングの勉強

ここでウン十万のローンを組んだ

しかし、転職を機にその知識を使う機会は消えた

次に選んだのが、

住宅用ガラスフィルムの施工

自分でホームページを作り、広告を考えた

営業車、フィルムの仕入れ代も必要だった

当然、資金の都合はつかず、撤退・・・

当時、僕が収益化を目標にしていた期間は、3カ月~半年

そんな短期間で結果が出るはずもない

僕は常に焦っていた

借金の返済が頭から離れない…

ブログもライターもすべて中途半端なまま終わらせた

すべてのツケは生活を追い込んだ

副業が難しいなら、メインの仕事を今より少しでも給料の高い会社へ

そしてまた転職を繰り返す


2024年、本当にどうにもならなくなっていた

お金がない

その時期はメンタルも明らかにおかしかった

死を意識した瞬間もあったし、その感情を肯定している自分もいた

感情がコントロールできない、自分が自分じゃない感覚

ただただ本当に恐ろしかったという記憶が残ってる

東京都生活再生相談窓口

この時、僕はまだ任意整理中

弁護士も解約しており、
この状況をどうすれば解決できるのか検討もついていなかった

なんとか探し出したのが「東京都生活再生相談窓口」

面談日はそこから2週間くらい待ったと思う

場所は飯田橋

過去の任意整理の書類と、今の状況がわかるものを持って向かった

2時間くらい話を聞いてもらうことができた

担当の方は、すごく丁寧に話を聞いてくれた

他の相談員にも相談しながら、いくつかの選択肢を提案をしてくれた

情けなさと恥ずかしさもあったが、

それでもなんとかなりそうな気がして、少し安心していた

そのときの結論は、「弁護士に相談しましょう」だった

後日、相談員も同行してくれて、弁護士相談へ

自己破産という選択

「この状況では自己破産しかないでしょう」

これが弁護士の判断だった

僕は任意整理中、お金の工面のために、

高金利の業者からお金を借りた。

(闇金ではないよ)

この会社の借入があると、再度任意整理は難しいとのことだった

簡単に債務整理の話

・任意整理:金利をカット、元本のみ返済

・自己破産:資産も負債もゼロになる

自己破産に抵抗がなかったわけではない

人生終わるんじゃないか、そう思っていた

それでも選択肢は自己破産しかなかった


これは、長野に来てから言われた言葉

「ここから頑張っていきましょう」

終わりと思ってる人間には響いた。

自己破産も任意整理も終わりではない

救済措置なんだと知った

親への相談

弁護士に相談するまでの間に、初めて親に借金の話をした

家賃の支払いも厳しい状況で、

相談員さんにも背中を押され、すべて話した

もうすぐ40歳にもなる男が、本当に情けないと思った。

親は怒ることもなく、ただただ心配してくれた

家族のありがたさを改めて実感した。

稼ぐための仕事

仕事も変えた

稼げることは分かっていたが、変なプライドで避けていた

タクシードライバー

確かにストレスはめちゃくちゃ溜まる

でも収入は安定した

東京のタクシードライバーは稼げる

これは本当だった

まだ終わらない

ただ、
体調とメンタルの限界で、1年で辞めた

そして、
自己破産も簡単には進まない

積立金を払い終わる寸前で、強制解約になった・・・

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